
特に横浜である必要がないかと思われるかも知れませんが、自分のモノレール模型に使っている電車線(電力を伝える部分)のパーツメーカーが横浜にあるため、部品の調達もかねて横浜に出かけたのです。

聞くところによると、神奈川県庁の食堂は安くてボリューム満点だそうです。
今度いってみよう☆
横浜の街の広さは何とも絶妙な規模で、部品メーカーや様々な資料館が、ほとんど徒歩で移動できる距離なのです。
本日スクラップした記事の中から、ちょっと気になったものをご紹介します。
まずは朝日新聞1965年1月23日の記事から
京成電鉄の成田駅前から成田山新勝寺までを結ぶ2.4kmのモノレール路線の免許申請を運輸審議会が認める答申をしたという記事。
よく読むとそこには「ロッキード方式」と書いてあります。
岐阜(のちの向ヶ丘)でロッキード式の試作車が作られたのが1962年、時代の流れが変っていたら向ヶ丘に走っていた車両が実は成田で走っていた???
それとも姫路で走っていた車両が成田で走っていた???
なんて空想を巡らす事ができる興味深い記事でした。
次に朝日新聞1965年8月26日の記事から
新宿伊勢丹の屋上にある遊戯用モノレールが故障したと言う記事。
伊勢丹の屋上にモノレールが存在したって事も驚きなのですが、写真をよく見ると、その車体の格好がどうみても奈良ドリームランドの初代東芝型によく似ている感じがするのです。
コルゲート付きの車体、そして裾部分のとりまとめ方、まるで初代東芝型です。
ちなみに奈良の車体はこんな感じ。
朝日新聞1961年6月6日の記事より。
元々ドリームランドのモノレールも有名なモノレールの模倣であるとかないとか・・・
そんな奈良のモノレールもさらに模倣される・・・
何でもありで大らかな時代だったのですね〜ww
今回は一社の新聞記事から調べてみましたが、時間をみて他の新聞も調べたいですね。
「姫路にあったもう一つのモノレール」
屋上遊戯モノレール(と言う際限のないカテゴリ)にまで調査の裾野を広げるつもりはさらさら無いのですが、先日、古い鉄道雑誌を見る機会があって、鉄道ピクトリアル1965年3月号の中から1964年11月に撮影した姫路駅のホームに停車している電車の写真があり、背景の駅ビルの上に懸垂式モノレールがちっちゃく映っているのを見つけてしまったのです。撮影した年月から姫路市営モノレールよりも先に走っていたことになります。
この駅ビルは今でも現役で、もう少し早くこの写真を発見していたら、先日の姫路紀行でも間違いなくチェックしていた場所だったのですが・・・・
また行く事があればぜひ痕跡でもないものか見てきます。
さて、話は横浜散歩に戻りまして・・・

横浜歩きは本当にワクワクします。

開港以降の近代建築が至る所にあり・・・

ここは宝の山です・・・ネ☆(多謝多謝)
次に馬車道にて
いわゆる「高低差」を撮影したつもりですが、

小さなデジカメではこれで精一杯です☆
このすぐ近くにある神奈川県立歴史博物館でちょっとした特別展が催されていたので立ち寄ってみました。
そこで販売されていたとても素晴らしい建築図面集(解説つき☆)

丁寧な解説が素晴らしい図面とともに綴られています

いやぁ、本当にお腹がすいた
模型の部品を調達した時に、そこの主人に聞いたお店で遅い昼食をとることにしました。

そば処「利休庵」 関内駅からすぐ
そこで頂いた「冷やし利休」

蕎麦汁は江戸風にかなり近い感じでしたが、蕎麦自体が細く繊細で、独特の風味を醸し出していました。

とっても美味しかったですョ☆
ではまたm(_ _)m